「清岡惣一・覚え書き/私の風景」
2022年、わたしは清岡惣一に出会った。
哲学者・大森荘蔵の思想を援用すれば、おそらく、印画紙上に眼差すことのできる事物の姿を一種の虚像、すなわち、どこか別の場所にある実体から引きはがされた仮の姿として捉えてみるのは誤りであり、むしろ、写真というかたちにおけるわたしへの、世界の立ち現われというべきなのであろう。
そうであれば、清岡の撮影した写真によって、わたしはある年月日時をもった確かなる風景を経験したということはできまいか。そしてそこには、写角(これは清岡がよく用いる言葉であり、いわゆる画角のことをさす)、感光材料、フィルター、絞りや露光秒数、そうしたメカニズムが形為す様々なあらわれに依って、清岡がまさに世界として、風景として、風の中に光る粒子のようなものとして、存在していた。その意味において、わたしは清岡に出会った。
そのように言わずにはおけないほど、清岡の風景写真は、清岡自身が展覧会に冠した名をかりれば「私の風景」なのである。
広角レンズが生じさせるパースペクティブを存分に活かしたフレーミング、撮影時のフィルターワークや暗室技法によって印画されたダイナミックな明暗のコントラスト、近景から遠景までを衝迫的に連結するパンフォーカス描写など、清岡の作り出す画面からはいくつかの、的確な手さばきによって結ばれた技法的なシグネイチュアが、比較的容易に読み取れる。
また、技法から被写体の方へと語りの重点を移してみれば、清岡の写真の少なくない部分には、流動の相が記録されているともいえよう。たとえば枯れてゆく草花、氷、波、風化する岩の相貌、そして事物と光が一時的に織りなす形象。これらはとどまることのない生命の変転を、その身において端的にあらわすような存在である。とくに雪や氷のある風景に関しては、展覧会の履歴に記されたいくつかの名からもわかるように、特別な愛着をもっていたことが推察できる。
白い雪は印画紙に清冽な光の凝縮をもたらす。場所や気温に応じてそれぞれが唯一の形態で現出する氷は、微細で連続的な灰色の変化によってその肉体の澄んだ様をそこに刻印している。そして、清岡の諸作に見ることのできるそうしたものたちの姿は、写真を撮るという行為における、事物と撮影者の慎み深いコミュニケーションをわたしに想像させるのである。
ところで、世界で初めて人工的に雪を発生させた人物として、物理学者の中谷宇吉郎がいる。周知のとおり、霧という不定形な現象を彫刻として提示するアーティスト・中谷芙二子の父である。中谷の雪にまつわるエッセイのなかには、その結晶の写真撮影について述懐するものがある。
ごく自然に見知っていたかのように思われてしまうが、雪の結晶がもつ特徴的な造形は、光学的な助力によってわたしたちのもとに届けられているという、当然であるが厳然とした事実を忘れてはならない。そして、中谷が人工の雪を作り、撮影し始めたのは1930年代のことであり、クロースアップを象徴的な技法のひとつとした新即物主義写真が隆盛を得た時代であったことは、符合的ということもできよう。
滋養に富んだ種々の文章のなか、雪の結晶、その側面を写真でとらえた際のエピソードはとりわけ味わい深い。先端を折り取ったマッチの軸から伸びる細い繊維と調査者の唾液を巧妙に用いて、撮影のために結晶を直立させる。つまり、極力その姿形を傷つけないように配慮しながらも、おそらく、自然の状態から離隔された姿勢のうちに雪を定めるということ。
また、零度を優に下回る野天に設置した機材を用いて、軽々とした粉雪の舞う中で結晶を観察する中谷の姿は、どこかカメラをかまえた清岡のそれと通じ合うものがあるのかもしれない。
中谷のエッセイ、そして清岡の写真からは、自然を己が意のままに操ろうとするのではなく、目の前の存在へと自らを謙虚に沿わせようとする彼らの姿を想像することができる。清岡についての精妙な評論を記した三輪映子は、おそらくそのことをしてつぎのようにあらわしているが、その詩的な言い回しを含めて、首肯したい。
「(…)奥日光の清岡氏は、被写体を自分の支配下に置くのではなく、一歩しりぞいて、被写体と並んで立っている。技法を用いるのは、それなしに聴けない、相手の歌を聴くためである。」
このような態度は、さらに進んで、撮影者である自らのうちに被写体と同質のものを、つまり、世界とともに流転する己自身の存在様態を見出す可能性へと、ひらかれてゆくのだろう。清岡の残した言葉は、いまのわたしにとって、そのようなものとして読み得るのである。
「うつろいやまぬ自然と、時の流れに身をゆだねる私との二つの波動がふと、たかまり合致するとき、その合一のあかしである作品が生まれる。」
清岡の「私の風景」とは、「私」による「風景」の占有ではなく、「私」と「風景」が同質的に在ることへの自覚だと考えてみたい。わたしはこの氷雪のように、潮に洗われた岩肌のように、木漏れ日のなかで揺れる草花のように、そしてこのすずやかな影のように、と。
篠田優(写真家)
[主な参考文献]
・清岡惣一『清岡惣一の世界 SOICHI KIYOOKA PHOTOGRAPHS』日本カメラ社、1993年
・清岡惣一(著)/清岡靜子・佐伯恪五郎・他(編)『JCII P.S. 65 清岡惣一作品展 「自然の旋律」』JCIIフォトサロン、1996年
・清岡惣一(著)/白山眞理・他(編)『 JCII P.S. 361 清岡惣一作品展 自然の旋律Ⅱ』JCIIフォトサロン、2022年
・大森荘蔵『新視覚新論』東京大学出版会、1982年
・中谷宇吉郎(著)/樋口敬二(編)『中谷宇吉郎随筆集』岩波書店、1988年
篠田優
写真家。主な個展に「有用な建築」(2021、表参道画廊)、「抵抗の光学」(2020、リコーイメージングスクエア東京)、"text"(2019,Alt_Medium)など。
Yu Shinoda
Photographer. Major solo exhibitions include "Useful Architecture" (2021, Omotesando Gallery), "Optics of Resistance" (2020, Ricoh Imaging Square Tokyo), and "text" (2019, Alt_Medium).
www.shinodayu.com
→English PDF/Text by Yu shinoda
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金柑画廊は、7月14日(木)から7月31日(日)まで、 清岡惣一写真展 「合一のあかし」を開催いたします。清岡惣一(1915-1991)は高知に生まれ、1934年に上京しました。山本悍右を代表とする写真におけるシュルレアリスムが台頭し始めた時代でもありました。土門拳がリアリズム写真を提唱し始めた1950年頃に、清岡は商業カメラマンとして就職しています。1960年代、リアリズム写真に対抗して当時次世代の若手写真家であった東松照明や奈良原一高らによる写真家集団"VIVO"が結成され、中平卓馬や高梨豊、森山大道らによる写真雑誌 “provoke”が刊行されました。その前後、清岡は独立してフリーのカメラマンとしての活動を始めています。清岡はさまざまな写真表現のムーブメントが起こっていた時代の中で、赤外線フィルターや広角レンズ、ソラリゼーションなど、カメラの可能性を駆使しながら、自己表現としての写真を制作し続けていました。今回の展示では15点ほどのヴィンテージプリントを展示いたします。この機会にご高覧ください。
本展開催にあたりご協力をいただいた皆さま、(株)コスモスインターナショナルの新山洋一氏、清岡氏の長女である鷲巣圭子氏、写真家の嶋田篤人氏、そして文章を寄稿してくださった写真家の篠田優氏に深く感謝申し上げます。
(太田京子|金柑画廊)
Kinkan Gallery is pleased to present "A Sign of This," an exhibition of Soichi Kiyooka's photographs from July 14 to July 31. Soichi Kiyooka (1915-1991) was born in Kochi and moved to Tokyo in 1934. This was also the time when surrealism in photography, represented by Kansuke Yamamoto, began to emerge. Around 1950, when Ken Domon began advocating realist photography, Kiyooka was employed as a commercial photographer. In the 1960s, in response to realist photography, the "VIVO" group was formed by several young photographers (Shomatsu Tomei and Ikko Narahara, etc) and also Takuma Nakahira, Yutaka Takanashi, Daido Moriyama and others published the photography magazine "provoke," around that time, Kiyooka began his career as an independent freelance photographer. In an era when various movements of photographic expression were taking place, Kiyooka continued to produce photographs as a form of self-expression, making full use of photographic mechanisms and their possibilities, such as infrared filters, wide-angle lenses, and solarization. This exhibition will feature about 15 vintage prints. Please take this opportunity to view them.
We would like to express our deepest gratitude to everyone who helped us organize this exhibition, including Yoichi Niinyama of Cosmos International Inc., Keiko Washizu, the eldest daughter of Mr. Kiyooka, photographer Atsuto Shimada, and photographer Yu Shinoda who contributed text to the exhibition.
(Kyoko Ota, Kinkangallery)
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