「ざ…ざざっ…ざざざ…こち」
見えないなにかがやってくる。
その存在を知るすべは数字の目盛りを静かに動かすことだけだ。その姿をより明瞭にするために、アンテナを伸ばしたり、向きを変えたりもしたが、捉えたかと思えば取り逃がし、もう消えてしまったかと思いきや急にあらわれてくるといった具合で、見えないなにかはいつも身体の傍らにあった。放射されたもの(radiation)を迎え入れるというラジオの特性は、どこか写真の工程に似ている。
だが、見えないなにか、知覚できないなにかを迎え入れることからは今や遥か遠いところにきてしまった。見えないなにかや知覚できないなにかは忌避されるべき対象で、場合によってはなかったものにさえされてしまう。それはいつからだろう。思えば9年前も、そして今も見えないものに怯えている。
見えないなにかへの怯えは可視化を徹底させる。可視化とはそもそも見えないなにかが「在る」ことの結果だった(不可視光である赤外線と紫外線の存在はそれぞれ温度計と塩化銀で可視化された)。けれども、ほどなくして可視化は自己目的化し、見えないなにかが存在するかどうかよりも見えないなにかに対してどう行動するかが主要な関心事となる。体温計はいま隔離と監視の道具となり、いいねの数は「もっともらしさ」のひとつの指標となっている。
行動が存在を凌駕する世界。
すべてを可視化しようとするこうした無謀な欲望のなかで、絵を見ることは見えないなにかを(再び)迎え入れるレッスンになるのかもしれない。ただ「在る」ことの他愛のなさ、私たちの遠隔化された身体はこれに救済されるのである。1969年のあの歌も行動の充満する世界に向けて唄われていたのではないだろうか。
(調 文明|写真批評家/写真史研究者)
金柑画廊は、髙橋恭司「ラジオのように。。。」を、6/19(金)から 7/19(日)まで開催いたします。写真家として知られる髙橋恭司は、近年写真だけにとどまらず、絵画や陶芸など、その表現の幅を広げてきました。
「ラジオのように。。。」では、絵画作品、陶芸、写真など新作に加えて、一点ヴィンテージプリント作品も展示いたします。東京都写真美術館で開催中の「写真とファッション」(7/19まで)では、髙橋恭司の90年代のプリント作品が紹介されております。。写真批評家でもあり写真誌研究家の調文明氏をお迎えしてのトークイベントも配信予定です。この機会に併せて是非ご高覧ください。
(金柑画廊|太田京子)
髙橋恭司 × 調 文明 クロージング・トーク (ライブ配信)
2020.7.18 Sat 18:00-19:00 https://www.instagram.com/kinkangallery/
調 文明
写真批評家/写真史研究者。1980年、東京生まれ。日本女子大学ほか非常勤講師。写真雑誌などで執筆。論文に「A・L・コバーンの写真における都市表現――三つのニューヨーク・シリーズを中心に――」(『美学芸術学研究』、2013年)、「ジェフ・ウォール――閾を駆るピクトグラファー」(『写真空間4』青弓社、2010年)など。『FOUR-D (No.05)』(2019年5月)に「自画像試論:セルフ・ポートレイトからオート・ポートレイトへ」、『装苑』2019年7月号に「独自性を放つ色彩の表現者たち 日本の写真作家と、色のはなし」を寄稿。
※新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、安全を考慮して入場制限をさせていただく場合がございます。